外来種との交雑、何が悪い? (1)
外来種に対して悪いイメージを抱く人は少なくないが、ブラックバス(オオクチバスなど)のように在来生物を捕食することで生態系を撹乱するケースが一般に知られているからだろう。そして、在来生物を捕食の対象とする外来種を駆除の対象とすることに疑問を抱く人はほとんどいない。しかし、標的になるのはこうしたタイプの外来種だけではなく、近縁の在来種と交雑することで定着するタイプの外来種も駆除の対象になっており、これについては疑問や反対の声が少なからずあるようだ。
私がよく訪れる「トラッシュボックス」というブログに「オオサンショウウオに交雑の恐れというが・・・」というタイトルの記事が上げられている{新聞報道や訪問者コメントに応じて、これまでに同タイトルの記事複数あり→(1),(2),(3),(4),(5)}。記事では、天然記念物に指定されているオオサンショウウオと近縁外来種のチュウゴクオオサンショウウオの交雑が進行していることに関して、その外来種および交雑種を駆除して純系のオオサンショウウオを維持しようとする取り組みを批判している。ブログ管理人の深沢さんは次のように書いている。
「オオサンショウウオに交雑の恐れというが・・・(5)」より
チュウゴクオオサンショウウオが日本に移入していること、また駆除の対象とされつつあることを私はこの記事を読んでを初めて知ったのだが、その後しばらくは深沢さんと同様に「交雑の何が問題なの?」と考えていた。しかし、学術的な話題についての普段の報道のレベルに鑑みて、マスコミが研究者や専門家の意見を正確に伝えていない可能性も十分に考えられるので、外来種を徹底的に駆除するべきだという方針に科学的根拠があるのかどうかは自分で調べて確認した方がよいとも思っていた。そこで、外来種問題を取り上げた書籍や集団遺伝学、保全生態学の教科書を何冊か集めてひと通り読んでみた。以下、わかったことについて紹介してみたいと思う。
まず、外来種や交雑種の駆除を正当な行為とするための大前提は「生物多様性の保全」であった。この「生物多様性」という言葉の歴史は浅く、最近になってようやく定着してきたものだが、現在それが指し示す多様性とは「種の多様性」だけではなく、「種内の遺伝的な多様性」や「「生物群集や生態系の多様性」も含んでいる。このうち、特に近縁外来種による交雑の悪影響をすぐに受けるのは「種内の遺伝的多様性」である。
おそらく、一般的には「種の多様性」のみがクローズアップされ、「種内の遺伝的な多様性」を保全することの重要性は未だ認識されていない、このことが外来種による交雑の問題の理解を遅らせている原因ではないかと考えられる。つまり、交雑は「種の多様性」をただちに低下させるということはないので、現状の一般的認識のもとでは「種の絶滅さえ回避できればよい」や「種が絶滅していないのに何が問題なの?」という意見がでてきて当然であるが、上に書いたように交雑が「種内の遺伝的な多様性」に悪影響を及ぼすことの意味が理解されれば、もしかすると駆除の必要性を認める人の割合が高くなるかもしれない。そこで、その意味について以下に説明してみることにする。
まず、「種内の遺伝的な多様性」とは、Wikipediaの「遺伝的多様性」にも書かれているように、個体群内(個体間)と個体群間の両方において遺伝的バラエティが保たれている状態を指す言葉である。地理的に他とは隔離されている集団のことを生態学では個体群とよんでいる。通常、個体群間では遺伝的交流がほとんどあるいは全くない。ある個体群から別の個体群に交配可能な個体を移動させること、つまり外来種による交雑によって個体群間に遺伝的交流をもたらすことは、個体群間の遺伝的な相違を消すことにより遺伝的多様性を低下させることと解釈できる。
今回、私が参考にした図書の中に『外来種ハンドブック』(村上興正・鷲谷いづみ、地人書館)という本があるが、第1章の第2節(p4-5)の「外来種問題はなぜ生じるのか-外来種問題の生物学的根拠-」から一部を抜粋する。
「一つの種から別の種が生まれる」ことを専門用語で「種分化」という。ここで述べられていることは、個体群が「種分化」の担い手であるということだ。このことを理解するためには、もう一つ抑えておかなければならないことがある。それは、進化プロセスの一つである「種分化」は、遺伝子上(塩基配列)の突然変異の蓄積がその駆動力となっているという理論である(進化論の総合進化説を参照)。
突然変異の起きた遺伝子は、それによって新しい形質が生まれる場合、その形質が環境適応にプラスに作用するなら個体群の中で保存されやすく、マイナスに作用するなら消滅しやすい(自然選択による適応進化)。また、このような選択圧によらず遺伝子頻度は偶然的に変動することもあり、ランダムな確率的変動によって突然変異を起こした遺伝子が集団中に固定されることがある(遺伝的浮動)。いずれにせよ、形質の変化を生む突然変異の蓄積が進むほどオリジナルとは相当に異なった性質を持つ個体の集団ができあがる。その結果としてオリジナルとの間では生殖できなくなったり、生殖できたとしても次世代が不妊になったりする状態を指して「生殖的隔離」というが、これがまさに「種分化」の始まりである。
地域によって選択圧の種類や確率的変動は多様であるから、突然変異の蓄積パターンが個体群間で異なるということは理解に難くない。そして、異なる蓄積パターンがすなわち遺伝的多様性であり、個体群を保全するということは「種分化」のチャンスを増やすための遺伝的多様性を保持するという意味を持つ。外来種による交雑は、すなわち個体群間に遺伝的交流をもたらすことであるから、「種内の遺伝的多様性」を低下させることで「種分化」を妨げる現象だといえる。そして、「種分化」が抑制されるということは、結局は「種の多様性」の低下にもつながるということになる。
以上のことから、生物多様性の保全のためには地域個体群ごとに遺伝的背景や進化プロセスが維持されている必要があり、外来種との交雑はそれを妨げるものであると理解できる。専門家の間では、このような理由により交雑種は駆除するれるべきとされる。
ここまでは個体群間の遺伝的バラエティに対して外来種がどのような悪影響を及ぼすかについて書いた。では、個体群内の遺伝的バラエティに対してはどのような影響が考えられるだろうか?
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私がよく訪れる「トラッシュボックス」というブログに「オオサンショウウオに交雑の恐れというが・・・」というタイトルの記事が上げられている{新聞報道や訪問者コメントに応じて、これまでに同タイトルの記事複数あり→(1),(2),(3),(4),(5)}。記事では、天然記念物に指定されているオオサンショウウオと近縁外来種のチュウゴクオオサンショウウオの交雑が進行していることに関して、その外来種および交雑種を駆除して純系のオオサンショウウオを維持しようとする取り組みを批判している。ブログ管理人の深沢さんは次のように書いている。
「オオサンショウウオに交雑の恐れというが・・・(5)」より
何度も言うが、交雑種が増えると何が問題なのか私には理解できない。
わが国のオオサンショウウオとチョウゴクオオサンショウウオは、別々の祖先から進化してたまたま似たような形質を備えたわけではあるまい。
同じ祖先をもつ者が、異なる地域で長期間世代交代を経ることにより、若干異なる形質を獲得するに至ったのだろう。
だからこそ、交雑が可能なのだろう。
チュウゴクオオサンショウウオが日本に移入していること、また駆除の対象とされつつあることを私はこの記事を読んでを初めて知ったのだが、その後しばらくは深沢さんと同様に「交雑の何が問題なの?」と考えていた。しかし、学術的な話題についての普段の報道のレベルに鑑みて、マスコミが研究者や専門家の意見を正確に伝えていない可能性も十分に考えられるので、外来種を徹底的に駆除するべきだという方針に科学的根拠があるのかどうかは自分で調べて確認した方がよいとも思っていた。そこで、外来種問題を取り上げた書籍や集団遺伝学、保全生態学の教科書を何冊か集めてひと通り読んでみた。以下、わかったことについて紹介してみたいと思う。
まず、外来種や交雑種の駆除を正当な行為とするための大前提は「生物多様性の保全」であった。この「生物多様性」という言葉の歴史は浅く、最近になってようやく定着してきたものだが、現在それが指し示す多様性とは「種の多様性」だけではなく、「種内の遺伝的な多様性」や「「生物群集や生態系の多様性」も含んでいる。このうち、特に近縁外来種による交雑の悪影響をすぐに受けるのは「種内の遺伝的多様性」である。
おそらく、一般的には「種の多様性」のみがクローズアップされ、「種内の遺伝的な多様性」を保全することの重要性は未だ認識されていない、このことが外来種による交雑の問題の理解を遅らせている原因ではないかと考えられる。つまり、交雑は「種の多様性」をただちに低下させるということはないので、現状の一般的認識のもとでは「種の絶滅さえ回避できればよい」や「種が絶滅していないのに何が問題なの?」という意見がでてきて当然であるが、上に書いたように交雑が「種内の遺伝的な多様性」に悪影響を及ぼすことの意味が理解されれば、もしかすると駆除の必要性を認める人の割合が高くなるかもしれない。そこで、その意味について以下に説明してみることにする。
まず、「種内の遺伝的な多様性」とは、Wikipediaの「遺伝的多様性」にも書かれているように、個体群内(個体間)と個体群間の両方において遺伝的バラエティが保たれている状態を指す言葉である。地理的に他とは隔離されている集団のことを生態学では個体群とよんでいる。通常、個体群間では遺伝的交流がほとんどあるいは全くない。ある個体群から別の個体群に交配可能な個体を移動させること、つまり外来種による交雑によって個体群間に遺伝的交流をもたらすことは、個体群間の遺伝的な相違を消すことにより遺伝的多様性を低下させることと解釈できる。
今回、私が参考にした図書の中に『外来種ハンドブック』(村上興正・鷲谷いづみ、地人書館)という本があるが、第1章の第2節(p4-5)の「外来種問題はなぜ生じるのか-外来種問題の生物学的根拠-」から一部を抜粋する。
一般に、一つの種から別の種が生まれるにあたっては、一部の個体が親集団から空間的に隔離されることが必須であると考えられている。親集団との遺伝的交流が断たれて初めて、独自の進化の途を辿ることができるからである。
すなわち、生物の移動に制約が課されていることは、一方では生物間相互作用を介した種の絶滅を抑制し、他方では新しい生物種の誕生を促すという意味で、地球における生物多様性の発達と維持において重要な意味を持っている。
「一つの種から別の種が生まれる」ことを専門用語で「種分化」という。ここで述べられていることは、個体群が「種分化」の担い手であるということだ。このことを理解するためには、もう一つ抑えておかなければならないことがある。それは、進化プロセスの一つである「種分化」は、遺伝子上(塩基配列)の突然変異の蓄積がその駆動力となっているという理論である(進化論の総合進化説を参照)。
突然変異の起きた遺伝子は、それによって新しい形質が生まれる場合、その形質が環境適応にプラスに作用するなら個体群の中で保存されやすく、マイナスに作用するなら消滅しやすい(自然選択による適応進化)。また、このような選択圧によらず遺伝子頻度は偶然的に変動することもあり、ランダムな確率的変動によって突然変異を起こした遺伝子が集団中に固定されることがある(遺伝的浮動)。いずれにせよ、形質の変化を生む突然変異の蓄積が進むほどオリジナルとは相当に異なった性質を持つ個体の集団ができあがる。その結果としてオリジナルとの間では生殖できなくなったり、生殖できたとしても次世代が不妊になったりする状態を指して「生殖的隔離」というが、これがまさに「種分化」の始まりである。
地域によって選択圧の種類や確率的変動は多様であるから、突然変異の蓄積パターンが個体群間で異なるということは理解に難くない。そして、異なる蓄積パターンがすなわち遺伝的多様性であり、個体群を保全するということは「種分化」のチャンスを増やすための遺伝的多様性を保持するという意味を持つ。外来種による交雑は、すなわち個体群間に遺伝的交流をもたらすことであるから、「種内の遺伝的多様性」を低下させることで「種分化」を妨げる現象だといえる。そして、「種分化」が抑制されるということは、結局は「種の多様性」の低下にもつながるということになる。
以上のことから、生物多様性の保全のためには地域個体群ごとに遺伝的背景や進化プロセスが維持されている必要があり、外来種との交雑はそれを妨げるものであると理解できる。専門家の間では、このような理由により交雑種は駆除するれるべきとされる。
ここまでは個体群間の遺伝的バラエティに対して外来種がどのような悪影響を及ぼすかについて書いた。では、個体群内の遺伝的バラエティに対してはどのような影響が考えられるだろうか?
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