間抜けな自然科学批判 その5
「バーチャルウォーター」より
循環しているモノの、一つのポイントを通過する量を累積して・・・そんな数字に、一体何の意味がある?
zombiepart6さんがこのように考える理由らしきものが次の記事「まぁ、どうでも良いんだけど」に書いてある。長くなるが、ご容赦願う。
まぁ、例えば・・・とある国で、牧草を100トン育てるのに水が10000トン要る事にしようか。んで、その100トンの牧草で牛を育てたら、1トンの牛 肉が得られるという事にする。で、この1トンの牛肉をN本国が輸入した場合、N本国は10000トンの「バーチャルウォーター」を輸入した事になる、と。
草の含水率をちょっと多めの70パーセントという事にして、100トンの牧草に含まれる水を70トンしてみようか。で、育てるのに使われた10000トン の水が・・・まぁ、全て根から吸収された事にしようか。で、吸収された10000トンの水の内、牧草の中に貯められた70トン以外の9930トンは何処へ 行ったのか?蒸散によって大気中に放出されたに決まっとるわね、コレは。
で、その100トンの牧草を牛が食って、1トンの牛肉になった、と。ややこしいから全部赤肉になったものとして、含水率を、コレも70パーセントとしてみ ましょうか。すると、1トンの牛肉に含まれている水は700キロという事になる。では、100トンの牧草を摂取した事によって牛に取り込まれた筈の70ト ンの水の内、肉に含まれる700キロ以外の69.3トンの水は何処へ行ったのか?排泄、発汗、呼吸等を通じて体外に排出されたに決まっとるわね、コレは。
つまり上記の場合、1トンの牛肉を産生するのに使われた10000トンの水の内9999.3トンは、自然界の水の循環サイクルに還元されている、という事 だ。その循環サイクルに還元された水まで累算して、それが作物の移動に伴って移動していると看做すという「バーチャルウォーター」なる概念は、現実の水の 移動の様態と全く乖離した概念であって、少なくとも自然科学的には虚妄というしかない。
以上のことを端的にいうと、「どんな水も循環している」というだけの話。当たり前でしょう。私が彼のブログのコメント欄で書いたように、水は地球という閉鎖系(総量は変わらない)の中で移動している、つまりどこかの循環過程に必ず乗っているのだ(=自然界の水循環サイクルに還元される)。だから、牧草に含まれている水だって例外ではない。ちなみに含水率70%は通常より低い値だ。枯れるんじゃないかな?
そして、自然科学的に虚妄であるとする理由の一つとして、「現実の水の移動の様態と剥離」していることを挙げているが、現実の水移動の様態を表すための数字ではないのだから、当たり前だ。この概念で表される数字を算出するときに使われる理論は間違いなく自然科学に基づいている。もちろん、その概念の使用については政治的・経済的な思惑が絡んでくる可能性はあるだろう。しかし、概念自体が自然科学的に虚妄だということはない。人間の「呼吸」による酸素消費量から地球全体の酸素収支を考えることができないからといって、「呼吸」という概念が自然科学的に虚妄な概念だとはいえないということと同じだ。
では、一ポイントを通過する水の量を把握して累算することになんの意味があるのか?
やっと前エントリからの続きに入ろうかな・・・とその前に、もう一枚図を出しておく。
単位:10 km3

「水利環境工学 」p45図
丸山 利輔 他
繰り返しになるけれども、zombiepart6さんがいっているのは、どんな水も水循環のどこかのプロセスには必ず乗っているということ。すなわち、上の図で示されるプロセスのどこかにかならず乗っているということにすぎない。そして、それはいつかは再利用が可能であるというだけで、必要な時に必要な場所で必要な量を再利用することが可能だという話では決してない。どのルート(プロセス)を経て蒸発散・降雨のサイクルに組み込まれているか、それが重要。
河川水から取水して淡水資源を利用するという営みは、一部の水の動きを「→河川水→海洋→水圏からの蒸発散→降雨→」というルートから「→河川水→陸地→地圏からの蒸発散→降雨→」というルートに変換するということになる。図でいえば、陸地からの蒸発散は赤矢印で、海洋への流出は青矢印で示されており、取水の多くを占める農業利用水が増加すると赤矢印が多くなり、青矢印が少なくなると考えられる。
もし、取水・利用によって青矢印ルート、または赤矢印ルートの水通過量が変わらないのであれば、下の図のようになっていなければならない。
I: 必要水量、D: 排水量

全ての n について、I = D
つまり、取水した水の100%が排水されて河川水に戻るということであるが、こんなことはありえない。
では、実際を模式図に反映させると、どうなるのか?
I: 必要水量、D: 排水量、C: 消費量(主に蒸発散水)

上の地球全体の水の流れを示す図の中で、赤矢印ルートを辿る水の流れを増やすことに寄与するのはCnだ。そして、Inに対するCnの割合が重要になってくるのだが、農業取水が水田灌漑のためのものなのか、あるいは畑地灌漑のものなのかどうかで、全く違う結果になる。日本では灌漑といえば、水田灌漑のイメージが強くあるため、灌漑した水の再利用率は高いのだと思われがちなのかもしれない。
まずは、水田灌漑での水利用管理について勉強したことを紹介していこうと思う。
続きます。。。追記という形になるかも。
comment
あらら
ブログ散歩をしていると、時々素人が専門家を馬鹿呼ばわりしているのを見かけます。よく目にするのは法律関係ですけど。読んでいてこちらが恥ずかしくて穴があったら入りたくなるような投稿があります。よくもまぁ堂々とこんなこと書けるなぁという。
ブログの発達で素人も専門的な分野に関して簡単に何かを書くことができるようになりそれは素晴らしいことだし楽しいことですが、高い専門性を持った研究者を馬鹿呼ばわりしたり、関連する専門知識がない、または素人なりに自分でできる限りの調査をしていないにもかかわらず自信たっぷりに怪しげな言説をもっともらしく流布するのは控えていただきたいですねぇ。ネットは情報が独り歩きしますし。
ところで、くだんの管理人さんは「あれだけネットに情報を流すことに伴う責任について語っていた人」なんですか。
だとしたら今回のこの記事はまずいですね(笑)
降水(降雨・降雪)量及び降水がある場所と時期を人類が特定できない限り、結局は、淡水の内、地表にある全体の2.5%の利用方法の話になってしまいますが、淡水全体の7割に近い氷河の内でも大規模なチベット・ヒマラヤの氷河がものすごい勢いで融け出している今、その水が川として流れ出すインド・パキスタン・中国・アフガニスタンその他の農業に及ぼす影響を考慮するならば、仮想水の理論とはまったく無関係の所の『被害』の方が甚大だと思われます。あったはずの固定資産(氷河)がいつのまにかなくなる訳ですから。
さて次をたのしみにしています。拝
lotusrayeightyさん
今回の彼の対応は以下の記事の中で自分が書いた内容に反する態度だと思うのですよ。
http://blogs.yahoo.co.jp/zombiepart6/38151973.html
http://blogs.yahoo.co.jp/zombiepart6/38003533.html
http://blogs.yahoo.co.jp/zombiepart6/37839406.html
http://blogs.yahoo.co.jp/zombiepart6/37932517.html
http://blogs.yahoo.co.jp/zombiepart6/38355520.html
ついでに紹介
御自身が「原則」性思考に陥っていないか、疑ってみるべし。
「原則」性思考についてはこちらの記事からシリーズもので6回分あります。
http://blogs.yahoo.co.jp/zombiepart6/41490400.html
東南さん
>淡水全体の7割に近い氷河の内でも大規模なチベット・ヒマラヤの氷河がものすごい勢いで融け出している今、その水が川として流れ出すインド・パキスタン・中国・アフガニスタンその他の農業に及ぼす影響を考慮するならば、
なるほど、その視点は私に欠けているかもしれません。もう少し調べてみます。ということで、記事の続きは遅れます(笑)最近は、地下水の枯渇に興味があって、そっち方面の文献ばかりみています。そーかぁ、氷河からの淡水供給も無視できませんね。
>仮想水の理論とはまったく無関係の所の『被害』の方が甚大だと思われます。
被害をどの指標で表すかによりますが、単純にどっちが甚大かとはいえないような気もします。氷河がなくなる前に、飢餓による死亡者が大量にでそうな地域もあるようですからね。
ところで、東南さんのいうところの「仮想水の理論」というのがわかりません。仮想水はあくまで輸入作物を国内で生産したらどれだけ水を使うかを表す指標ですから、その概念の中に「被害」と結びつくような数値や「理論は含まれていないと私は考えます。
淡水資源としての氷河の消失問題は、仮想水という概念が使用されるときに取り上げられる水問題とは別であるということでしょうか?
仮想水という概念は前のエントリでも書いたように、「作物の輸入によって国内の水を節約できるぜぇ!」という文脈でも使えるし、また「作物の輸入によって輸出国の水資源消費量に関与しているのだから、何かの貢献をすべきだ!」のような文脈でも使えます。予め、この概念を使う方向性が決められているわけではないと思います。
そのため色々な味付けが2002年以降、全部をさがして読む気になれないほど存在しているようですし、なかには読んでいて『この味付けは違うでしょう・・』的に感じるものもあり、使われ方がチョイト気にいらないと私は感じています。
この仮想水という理論(発想でしょうか)の中には、例えば、汲んだらもう水の大循環で同じ場所に戻れないような『深』地下水やフツーに融けていれば良いのに必要以上の速さで融けている氷河の存在といった無形文化財的(笑)淡水の消失までは2002年の段階では考慮したのかもしれませんが明確にその理論(発想)の中で論評はしていないように思いましたのでそう申し上げた次第です。拝
うっ
ゆっくり拝見してみます。
ところで背景の星空いいですね。マウスで星座がつくれる。
ところで、記事中赤文字で書かれた文章のところ、3Dみたいになってお目目がチカチカしますよ(+_+)
東南さん
同じく全部を探して読む気にはなれないです。しかし、その変な味付けが総数のどれだけを占めるのか、また衆愚を煽りそうな権威による間違った味付けが気になるところです。
ちなみに、東南さんのチョイト気にいらない味付けとはどんなものですか?
氷河や地下水に含まれる水の定量、動態の将来予測は自然科学分野に求められている項目の中でも極めて困難な部類のものだと思います。なかなか断言できないのではないでしょうか?