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Gmailの引用返信

返信メールを作成する際、全文ではなく一部分だけを引用したいことが多々ある。ライフハッカーではしばしばGmail関連の小技が紹介されるが、昨年12月の記事を読んで、Gmailでは希望の箇所を選択してから返信ボタンを押すと簡単に部分引用の返信メールが作成できることを知った。

しかし、いつのまにかこの方法が使えなくなってる…
と思っていろいろ調べてみたら、この機能はLabsの設定で有効にしないと働かないようになっていたではないか。


引用返信


解決してよかった、よかった
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外来種との交雑、何が悪い? (2)

前の記事で突然変異について、自然選択が進化の駆動力であることについて触れた。しかし、実際には大部分の突然変異は有害な効果をもたらすパターンか、あるいは環境適応にとってプラスにもマイナスにも働かない中立的なパターンである。中立的な突然変異は選択圧の影響を受けずにゲノム上の特定の場所において一定速度で蓄積するという理論(分子時計)によって、中立的な突然変異の蓄積量やパターンの解析は遺伝的分化の程度や種の分岐年代の推定に利用されている(系統解析)。地域個体群の系統解析においても分子時計の考え方が適用され、例えば下のような系統樹が描かれる。

系統樹

前の記事では、この図でいえば個体群A~Gのそれぞれを独立に扱い保全する必要性について説明した。例えば、個体群Aの保全について考える時、個体群B~Gは全て外来種として扱われ、それらとの交雑は避けられるべきとする。国内であっても異なる個体群であれば外来種として扱われる(国内外来種)。

さて、「種分化」の担い手として個体群を保全するためには、これまでの説明にあるような他の個体群との関係性にだけ着目していればいいわけではなく、個体群それ自体の健全性にも注意を払わなくてはならない。前出の「個体群内の遺伝的バラエティ」は健全性の指標として保全活動で必ずといっていいほど調査項目に入っている。具体的にはヘテロ接合度(h)という値で種内の遺伝的多様性が評価されることが多い。

上の図で個体群Aのある形質を司る遺伝子に3つの型(p、q、r)があるとする(対立遺伝子が3つあるという)。遺伝子型はpp、qq、rr、pq、qr、rpが存在すると考えられる。同じ種類の遺伝子がペアになっている型(pp、qq、rr)をホモ接合、異なる種類がペアになっている型(pq、qr、rp)をヘテロ接合であるという。個体群Aの中でp、q、rの存在割合がそれぞれ0.1、0.6、0.3である場合、遺伝子型がホモ接合である期待値はそれぞれの存在割合を2乗した合計であるから0.01+0.36+0.09=0.46になる。ホモ接合以外の遺伝子型は全てヘテロ接合であるから、その期待値(ヘテロ接合度;h)はh=1-0.46=0.54となる。個体群A中でqが大勢を占め遺伝子多様度が低いケースを想定してp、q、rの存在割合をそれぞれ0.001、0.95、0.049と設定してみるとh=0.095098となり、たしかに低い値となる。また、hは対立遺伝子数が多いほど大きくなることも頭に入れておかなければならない。個体群の健全性を評価する上でhは大きい値ほどよいとされるが、それはつまり集団において(1)対立遺伝子の種類が多く、また(2)ヘテロ接合の遺伝子型が占める割合が高い状態ほど環境適応にとって都合がよいということである。(1)も(2)も個体群サイズが縮小すると悪影響を受ける。

まず(1)について、形質を左右する対立遺伝子の種類が少ないと適応できる環境の幅が狭くなり、逆に多いと環境変化による絶滅のリスクが小さくなることは想像しやすいと思われる。個体群のサイズが縮小すると遺伝的浮動の影響を受けやすくなり、対立遺伝子の偶然的な消失によりその種類が減少する危険性が高まるので、環境適応にとっては都合が悪いというわけである。

次に(2)について、ヘテロ接合の遺伝子型が個体群の適応度に関係する理由は二つある。一つはヘテロ接合(pq、qr、rp)の方がホモ接合(pp、qq、rr)よりも適応度が高くなる形質があるということ(超優性)。主要組織適合遺伝子複合体などのように、病気への抵抗性を左右する遺伝子/形質にこのようなケースがある。たとえば、遺伝子型ppに対応する表現型はpに由来する性質しかもたないのに対して、遺伝子型pqに対応する表現型はpとqのそれぞれに由来する性質を両方持つので適応度がより高くなるということをイメージするとわかりやすい。もう一つの理由は、集団中に淘汰されずに残っている有害突然変異を含む劣勢遺伝子がホモ接合になる確率が高まると個体群の適応度が低下する現象、いわゆる近交弱勢の問題である。ヘテロ接合度の観測値が高い個体群では近交弱勢のリスクが小さいと考えることができるが、逆にヘテロ接合度の観測値が低い個体群ではホモ接合の割合が高いということだから近交弱勢により適応度が下がっている可能性がある。個体群のサイズが縮小すると血縁個体どうしの交配(近親交配)の頻度が高まるので、近交弱勢による適応度の低下が懸念されるというわけである。

近交弱勢に関して、件の記事のコメント欄で現実論さんという方が次のようなコメントを入れている。

オオサンショウウオに交雑の恐れというが・・・(4)のコメント欄より

残念ながら、日本のオオサンショウウオでは地域によっては近交係数が破滅的に悪化している恐れがありますので。交雑種の増加はむしろ有意義かも知れませんね。


近親交配によって近交弱勢のリスクが高まることは確かであるが、近親交配が進んでいるから交雑種の増加が有意義であるという認識は誤りである(完全な誤りとも言えないが)。

近親交配の程度を表す近交係数(F)はヘテロ接合度から計算によって求めることができる。ランダム交配を仮定して対立遺伝子の頻度から計算されるヘテロ接合度の期待値をHe、観測値をHoとすると、F=1-Ho/Heという関係が成立する。個体群サイズが縮小すると近親交配が起こりやすくなるので、個体数が多い条件でのランダム交配に比べてホモ接合の割合が高まる、すなわちヘテロ接合度の観測値(Ho)がHeに比べて小さくなるので、近交係数は1に近づく。現実論さんが「近交係数が破滅的に悪化」と表現しているが閾値などはなく、漠然と1に近い値を「悪化」といっているだけだと思われる。

しかし、ここで重要なことは、近交係数は近親交配の程度を表す数値なのであって、近交弱勢の程度を表す数値ではないということだ。近交係数が高いとき、つまり近親交配が進んだときにどのくらい近交弱勢が発動するかは個体群によって異なる。ホモ接合になる割合が高るからといって近交弱勢が必ず強く影響するとは限らないのである。なぜそのように考えるのかというと、上に既に書いたように、近交弱勢は「有害突然変異を含む劣勢遺伝子がホモ接合になる」ことが原因とされているからだ。個体群中に有害突然変異を含む劣勢遺伝子(以下、弱有害遺伝子)が少ないほど近交弱勢の影響は小さくなる。

弱有害遺伝子を含む劣勢遺伝子はホモ接合にならないと形質に反映しないので、個体群サイズがある程度大きければヘテロ接合の遺伝子型に潜むようにしてその個体群中に保存される(形質に反映しなければ選択圧にかからないから)。しかし、個体群サイズが急激に縮小するなどしてホモ接合の遺伝子型が現われる率が高まるとその弱有害遺伝子を含む劣勢遺伝子は選択圧によって世代を重ねるごとに個体群から取り除かれやすくなる。したがって、過去に個体数が激減したという履歴を持つ個体群では弱有害遺伝子が淘汰されて少なくなっている可能性が高く、その場合には近親交配が進むような状況になっても近交弱勢の影響が小さいと推測できる。




では、有害突然変異を含む遺伝子が多く保存されているために近交弱勢が現実的に懸念される個体群についてはどうだろうか?別の個体群からの移植に良い効果が期待できるだろうか?答えは「やってみないと分からない・・・」らしい。遺伝的背景の異なる集団由来の個体との交配において優れた形質の雑種が得られることは一般によく知られているが(雑種1代目における雑種強勢)、この効果も常に期待できるわけではなく、さらに雑種2代目ではむしろ形質の劣化した個体や不稔の個体(雑種崩壊)になるという報告も多くある。雑種崩壊に限らず、異なる地域の個体群から移植して交雑させると適応度が低下する現象が様々な種で起きることが確認されている。このような現象は外交弱勢または異系交配弱勢と呼ばれており、近年そのメカニズムについて盛んに研究されているようだ(局所的な環境に適応して残っている対立遺伝子や共適応遺伝子複合体に別の個体群から導入された遺伝子が悪影響を及ぼすという説が有力?)。ともかく、個体数が減少している個体群に外来種を導入すれば近交弱勢が緩和されて絶滅のリスクを低減することができると考えるのは、起こりうる様々なケースの内の一つを挙げているに過ぎず、オオサンショウウオの件についてはその楽観論を適用できる科学的根拠はない。

しかし、外来種の導入はいかなる状況においてもやってはいけない、というわけではない。ある個体群において個体数が激減して消滅の危機に陥っている場合、保全生態学の考え方としてまず最初に行うべきことは生育環境の改善である。それだけでは自然回復が見込めないとなったときに初めて別の個体群からの移植が検討される。その際、どの個体群を移植元とするかが最重要の案件となる。異系交配弱勢のリスクを極力抑えるためには、できるかぎり遺伝的背景の共通性が高い個体群を選択しなければならない。上の系統樹でいえば、保全対象が個体群Aであるとき、移植元の個体群はBが最善ということになる。トキやコウノトリについては日本のものと近い系統を選んで移植したという話もあるようだが、その選択が適切であったかどうかを判断できるほどの情報はWeb上になかった。各地で行われている稚魚の放流については自治体がその悪影響を認識せずに無計画に勧めている面があり、研究者/専門家は批判的である。京都大学大学院の渡辺勝敏准教授はその一人であるが、ホームページ上で淡水魚の保全について解説するとともに、日本魚類学会において「生物多様性の保全をめざした魚類の放流ガイドライン」の策定に関わっている。そのガイドラインの一部(要約の部分)を抜粋する。

要約

基本的な考え:希少種・自然環境・生物多様性の保全をめざした魚類の放流は,その目的が達せられるように,放流の是非,放流場所の選定,放流個体の選定,放流の手順,放流後の活動について,専門家等の意見を取り入れながら,十分な検討のもとに実施するべきである.

放流の是非:放流によって保全を行うのは容易でないことを理解し,放流が現状で最も効果的な方法かどうかを検討する必要がある.生息状況の調査,生息条件の整備,生息環境の保全管理,啓発などの継続的な活動を続けることが,概して安易な放流よりはるかに有効であることを認識するべきである

放流場所の選定:放流場所については,その種の生息の有無や生息環境としての適・不適に関する調査,放流による他種への影響の予測などを行った上で選定するべきである.

放流個体の選定:基本的に放流個体は,放流場所の集団に由来するか,少なくとも同じ水系の集団に由来し,もとの集団がもつさまざまな遺伝的・生態的特性を最大限に含むものとするべきである.また飼育期間や繁殖個体数,病歴などから,野外での存続が可能かどうかを検討する必要がある.特にそれらが不明な市販個体を放流に用いるべきではない.

放流の手順:放流方法(時期や個体数,回数等)については十分に検討し,その記録を公式に残すべきである.

放流後の活動:放流後の継続的なモニタリング,結果の評価や公表,密漁の防止等を行うことが非常に重要である.


この要約で示されている考え方は他の生物種にも適用でき、オオサンショウウオの保全も同じ視点で捉えられる。また、放流に関わる生物多様性に対する問題点として挙げられているのは以下のとおりであるが、「放流」を「他の個体群からの移植」などに置き換えて読めばやはり多くの生物種にも当てはめて考えることができる。

  • 生息に適さない環境に放流した場合には,放流個体が短期間のうちに死滅するだけに終わる.  
  • 在来集団・他種・群集に生態学的負荷(捕食,競合,病気・寄生虫の伝染など)を与える.ひいては生態系に不可逆的な負荷を与えうる.  
  • 在来の近縁種と交雑する.その結果,遺伝・形態・生態的に変化し,地域環境への対象種の適応度が下がる.交雑個体に稔性がない場合には,直接的に在来・放流両集団の縮小につながる.  
  • 在来の同種集団が,遺伝的多様性(※3)が小さい,あるいは在来集団と異なる遺伝的性質をもつ放流個体と混合したり,置き換わることにより,地域環境への適応度が下がる.



雑種崩壊、異系交配弱勢について書かれていることがお分かり頂けるだろうか。このようなガイドラインが他の生物種の保全にも適用されるようになってそのことが一般人に認知されないかぎり、外来種問題は後を絶たないだろう。

theme : 博物学・自然・生き物
genre : 学問・文化・芸術

外来種との交雑、何が悪い? (1)

外来種に対して悪いイメージを抱く人は少なくないが、ブラックバス(オオクチバスなど)のように在来生物を捕食することで生態系を撹乱するケースが一般に知られているからだろう。そして、在来生物を捕食の対象とする外来種を駆除の対象とすることに疑問を抱く人はほとんどいない。しかし、標的になるのはこうしたタイプの外来種だけではなく、近縁の在来種と交雑することで定着するタイプの外来種も駆除の対象になっており、これについては疑問や反対の声が少なからずあるようだ。

私がよく訪れる「トラッシュボックス」というブログに「オオサンショウウオに交雑の恐れというが・・・」というタイトルの記事が上げられている{新聞報道や訪問者コメントに応じて、これまでに同タイトルの記事複数あり→(1),(2),(3),(4),(5)}。記事では、天然記念物に指定されているオオサンショウウオと近縁外来種のチュウゴクオオサンショウウオの交雑が進行していることに関して、その外来種および交雑種を駆除して純系のオオサンショウウオを維持しようとする取り組みを批判している。ブログ管理人の深沢さんは次のように書いている。

オオサンショウウオに交雑の恐れというが・・・(5)」より

何度も言うが、交雑種が増えると何が問題なのか私には理解できない。
わが国のオオサンショウウオとチョウゴクオオサンショウウオは、別々の祖先から進化してたまたま似たような形質を備えたわけではあるまい。
同じ祖先をもつ者が、異なる地域で長期間世代交代を経ることにより、若干異なる形質を獲得するに至ったのだろう。
だからこそ、交雑が可能なのだろう。



チュウゴクオオサンショウウオが日本に移入していること、また駆除の対象とされつつあることを私はこの記事を読んでを初めて知ったのだが、その後しばらくは深沢さんと同様に「交雑の何が問題なの?」と考えていた。しかし、学術的な話題についての普段の報道のレベルに鑑みて、マスコミが研究者や専門家の意見を正確に伝えていない可能性も十分に考えられるので、外来種を徹底的に駆除するべきだという方針に科学的根拠があるのかどうかは自分で調べて確認した方がよいとも思っていた。そこで、外来種問題を取り上げた書籍や集団遺伝学、保全生態学の教科書を何冊か集めてひと通り読んでみた。以下、わかったことについて紹介してみたいと思う。

まず、外来種や交雑種の駆除を正当な行為とするための大前提は「生物多様性の保全」であった。この「生物多様性」という言葉の歴史は浅く、最近になってようやく定着してきたものだが、現在それが指し示す多様性とは「種の多様性」だけではなく、「種内の遺伝的な多様性」や「「生物群集や生態系の多様性」も含んでいる。このうち、特に近縁外来種による交雑の悪影響をすぐに受けるのは「種内の遺伝的多様性」である

おそらく、一般的には「種の多様性」のみがクローズアップされ、「種内の遺伝的な多様性」を保全することの重要性は未だ認識されていない、このことが外来種による交雑の問題の理解を遅らせている原因ではないかと考えられる。つまり、交雑は「種の多様性」をただちに低下させるということはないので、現状の一般的認識のもとでは「種の絶滅さえ回避できればよい」や「種が絶滅していないのに何が問題なの?」という意見がでてきて当然であるが、上に書いたように交雑が「種内の遺伝的な多様性」に悪影響を及ぼすことの意味が理解されれば、もしかすると駆除の必要性を認める人の割合が高くなるかもしれない。そこで、その意味について以下に説明してみることにする。


まず、「種内の遺伝的な多様性」とは、Wikipediaの「遺伝的多様性」にも書かれているように、個体群内(個体間)と個体群間の両方において遺伝的バラエティが保たれている状態を指す言葉である。地理的に他とは隔離されている集団のことを生態学では個体群とよんでいる。通常、個体群間では遺伝的交流がほとんどあるいは全くない。ある個体群から別の個体群に交配可能な個体を移動させること、つまり外来種による交雑によって個体群間に遺伝的交流をもたらすことは、個体群間の遺伝的な相違を消すことにより遺伝的多様性を低下させることと解釈できる

今回、私が参考にした図書の中に『外来種ハンドブック』(村上興正・鷲谷いづみ、地人書館)という本があるが、第1章の第2節(p4-5)の「外来種問題はなぜ生じるのか-外来種問題の生物学的根拠-」から一部を抜粋する。

一般に、一つの種から別の種が生まれるにあたっては、一部の個体が親集団から空間的に隔離されることが必須であると考えられている。親集団との遺伝的交流が断たれて初めて、独自の進化の途を辿ることができるからである。

すなわち、生物の移動に制約が課されていることは、一方では生物間相互作用を介した種の絶滅を抑制し、他方では新しい生物種の誕生を促すという意味で、地球における生物多様性の発達と維持において重要な意味を持っている。



「一つの種から別の種が生まれる」ことを専門用語で「種分化」という。ここで述べられていることは、個体群が「種分化」の担い手であるということだ。このことを理解するためには、もう一つ抑えておかなければならないことがある。それは、進化プロセスの一つである「種分化」は、遺伝子上(塩基配列)の突然変異の蓄積がその駆動力となっているという理論である(進化論の総合進化説を参照)。

突然変異の起きた遺伝子は、それによって新しい形質が生まれる場合、その形質が環境適応にプラスに作用するなら個体群の中で保存されやすく、マイナスに作用するなら消滅しやすい(自然選択による適応進化)。また、このような選択圧によらず遺伝子頻度は偶然的に変動することもあり、ランダムな確率的変動によって突然変異を起こした遺伝子が集団中に固定されることがある(遺伝的浮動)。いずれにせよ、形質の変化を生む突然変異の蓄積が進むほどオリジナルとは相当に異なった性質を持つ個体の集団ができあがる。その結果としてオリジナルとの間では生殖できなくなったり、生殖できたとしても次世代が不妊になったりする状態を指して「生殖的隔離」というが、これがまさに「種分化」の始まりである。

地域によって選択圧の種類や確率的変動は多様であるから、突然変異の蓄積パターンが個体群間で異なるということは理解に難くない。そして、異なる蓄積パターンがすなわち遺伝的多様性であり、個体群を保全するということは「種分化」のチャンスを増やすための遺伝的多様性を保持するという意味を持つ。外来種による交雑は、すなわち個体群間に遺伝的交流をもたらすことであるから、「種内の遺伝的多様性」を低下させることで「種分化」を妨げる現象だといえる。そして、「種分化」が抑制されるということは、結局は「種の多様性」の低下にもつながるということになる。

以上のことから、生物多様性の保全のためには地域個体群ごとに遺伝的背景や進化プロセスが維持されている必要があり、外来種との交雑はそれを妨げるものであると理解できる。専門家の間では、このような理由により交雑種は駆除するれるべきとされる。



ここまでは個体群間の遺伝的バラエティに対して外来種がどのような悪影響を及ぼすかについて書いた。では、個体群内の遺伝的バラエティに対してはどのような影響が考えられるだろうか?

次の記事

theme : 博物学・自然・生き物
genre : 学問・文化・芸術

tag : 外来種 自然科学 オオサンショウウオ

悲惨な写真をみることができない

反戦を訴えるブログでたまに戦争の残虐な光景の写真を掲載する人がいる

私は全く見ることができないというわけではないが、はっきりいって苦手である。そして、死体の写真をみることができない人がいるのを知っている。私以外の人も普通、知っていると思う。

残酷な写真をみることができない人がいると分かっていながら、なぜ掲載するんだろう?常々疑問に思っていたところ、知り合いがブログで原爆に被災した人の写真を掲載していたので、コメントして尋ねてみた。
http://blogs.yahoo.co.jp/dogwandogwan/61580723.html


しかし、堪えられない人がいると分かっていて、社会的意義もはっきりしないのに、一部の人はなぜ掲載しようと思うのか、未だに理解できないでいる。誰か教えてくれ。

theme : 不安定な心
genre : 心と身体

ブログ巡り

自分と似た様な考え方を持つ人とブログ上で交流する、これが楽しいのは分かるんだけど、なんだか自分にはできない。ヤル気が起きない。ほとんどの人は自分と同じような考え方が存在することで安心しているのかなあ?でも、それで安心できるんだとしたら、それはすごいことだ。だって、同じような考え方をする人を探して辿り着いたんだから、同じような考え方しか目にしないのは当たり前でしょう。

本当に自分の考えに自信をもちたいなら、異なる考え方を持つ人と交流した方がよい。異なるものに触れても自分の方が正しいと思える、それで自信が得られる。このような姿勢をとる人は、同じような考え方を持つ人々の中にどっぷりつかることにむしろ不安を感じるのではないだろうか。まあ、結果的に自分の考え方が変化していいわけで、要するに、自分が正しいと思えることを追求したいなら、自分とは違う考え方に触れるべきなんだよね。

theme : モノの見方、考え方。
genre : 心と身体

いろいろ見つけた

Tamanegiさんが消息を絶ってはや一年半?
http://black.ap.teacup.com/tamanegi/

Tamanegiさん用に書いていたバーチャルウォーター(仮想水)についての記事にdanさんという人がコメントくれたことがあるんだけど、その人のホームページを見つけた。HPタイトルは「仮想水:バーチャルウォーター 概念利用の嘘と危険」だってさ(笑)


これとは全く無関係の話。

近頃、人に共感するという機会がほとんどない。
昔、ブックマークに登録していたあるブログからリンクを辿って「特殊清掃「戦う男たち」」というブログに行き着いた。このブログ主の感覚、なんだか心に響く。久しぶりにリンク欄に登録してしまった。

今日は「自死の選択」を読んだ。それで「難しい」の記事を書いた。
自分の生きている意味を他者との関係から感じ取れなくなった人は、死ぬことによって他人に迷惑がかかることを想像することもできずに、悲しい選択をするんだろうな。

theme : 日記
genre : 学問・文化・芸術

難しい

世の中ほぼ全ての人が他者から認めてもらう、また必要とされている感覚がないと健全に生きていけない。「人は独りでは生きていけない」という言葉は人間のこのような性質を指している気もする。

どういった場合にこ感覚が得られるのか。

・社会的地位を得る
・家族を持つ
・恋人を持つ

だいたいこの三つかな。他者との関係において自分が生きている意味を見出すことができるってか。


そして、この三つは人間のプライド形成にも密接に関わっている。特に最初の「社会的地位を得る」というやつが。このプライドってのがまた人間を苦しめるんだよな。プライドを維持するのが大変、失ったらアイデンティが崩壊する。プライドのほとんどは捨ててもよい、いやむしろ捨てたほうが楽に生きられる。では、上の三つはない方がいいのか?いや、そうすると大事な「感覚」が得られなくなる。ではどうしたらいいか?

答えは、上の三つを目的にしないこと、違うかな?
自分以外の誰かのために何かに一生懸命とりくむ、これを目的にしよう。そうしたら、結果的に上の三つの内、どれかが得られるんじゃないかな。

しかし、生きていれば上の三つのどれもない時期があるかもしれない。その時、誰かのために何かをやってあげたいと思えるほど余裕があるかっていうと、難しいよなあ。

theme : 不安定な心
genre : 心と身体

他人のブログでIPをとろうとするバカ(笑)

中畑


最近、ステラさんのところで中畑と遊ばせてもらっている。その中畑がなにを考えたか、このブログのコメント欄にアクセス解析のタグを書き込んできた。おそらく、「高知白バイ衝突死事故」関連の記事にコメントを入れている「(・ω・)」さんと同一人物であると疑っているのだろう。こんなこと書いていたから。

糞人が必死で反論している間、捨てハンがリアルタイムに返事することは無いだろうな(笑)
わざわざ返事しませんってから、こっちにかかっているもの(笑)



Yahoo!ブログのように管理者だけがみることを想定していたんだろうけど、管理画面でみるとアクセス解析のタグとして機能していないんだなあ(笑)Yahoo!ブログのゲストブックですでに私のIPは記録できているんだから、あとは「(・ω・)」さんのIPをとることに専念すればよいのにねえ。

中畑本人はどこからアクセスしているかというと、また串をつかってマレーシアを経由しています(笑)高知県から堂々とアクセスすればよいのに、何をビビっているんだろう(笑)

theme : 今日の出来事
genre : 日記

中畑の悪辣は偽善者を炙り出す

私のトラックバックに対して、アカリさんは無反応であったが、その代わりに中畑が妄想を披露して独善主義の成れの果を晒している。
そして、ついには脅迫的な文句を書くこともはばからない、もはやアカリさんのブログでは好き放題の状態である。
http://planetnine.blog97.fc2.com/blog-entry-1208.html#comment6077

特にまけおのブログでは今までの全投稿量を超えるくらいの抗議をしてやろうと思う。


アカリさんはこのような悪辣な文章が自分のブログに載っていることの影響をどのように考えているのだろうか?
悪影響があると判断される表現や文章に対して、何らかの措置を講じるのは管理人の責任である。

アカリさんは、中畑の影響を受けているのかどうか分からないが、出来る限り削除しない方針を採っているようだ。

http://planetnine.blog97.fc2.com/blog-entry-1266.html

長くなるし、中には大人げないコメントも混じっているが、過去のコメントを訂正・削除する権利はコメンテーターではない私にはないため、ご容赦願いたい。


http://planetnine.blog97.fc2.com/blog-entry-1266.html#comment4923

コメントは、何方のコメントであっても(無関係の商業リンクなどでない限りは)私一人の判断で削除はしません。




私はアカリさんのことを偽善者だと思っている。

頭の中で「~したい(したくない)」が「~するべき(すべきではない)」に置き換わっているからだ。上記の引用からもそのように判断される。
自分の価値観に基づいた「善」を普遍的な「善」として扱ってしまう。結果的に、普遍的な「悪」に対処できない。アカリさん自身が「削除したくない」が「削除するべきではない(=削除する権利はない)」に置き換わって、中畑の下衆なコメントによる悪影響に配慮することができない。自己の都合(自分の善を貫くこと)で悪影響による被害者を顧みないという意味で偽善といえる。

※ここでいう「普遍的な」は「多くの人に共通の」くらいの意味

このままでは、中畑が悪辣なコメントを書き込めば書き込むほど、アカリさんは偽善を発揮することになるだろう。

theme : モノの見方、考え方。
genre : 心と身体

tag : 惑星ナイン アカリ

いつになったら取り消すの?

アカリさんは私の意図を確認できない段階で「言葉の撤回と謝罪」を要求してきたんだよね。
http://planetnine.blog97.fc2.com/blog-entry-1208.html
いや、意図を確認できないというより、私の意図を無視してといった方が正確だな。

こちらは「死んで欲しい」という意味では使っていないと説明しているにも関わらず、いつでも同義であるかのような主張をして譲らない。挙句の果てに、「絶滅」に「存在の抹消」の意味が全くないことを示して欲しいなどと無茶なことを言い出す。「必ずしも同義ではない」ということと「同じ意味では全くない」ということを混同しているのかね?

まあとにかく、私の意図を確認しないままに決め付けで撤回・謝罪要求しておきながら、その記事を放置している状態がつづいているわけで、甚だ無責任というほかはないでしょう。これでなぜ平気なのか理解できない。

theme : ひとりごと
genre : 心と身体

tag : 惑星ナイン アカリ

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